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うどんの歴史
ルーツは中国大陸、日本へは弘法大師空海が唐より伝えた?
麺食文化の発祥は、黄河中流域の「西安」「太原」「洛陽」の三都市を結ぶ三角地帯に行き着きます。この地で生まれた麺食文化は、その他の大陸文化の内の一つとして日本に伝えられたと言われています。その伝承については、遣随使、遣唐使が大きな役割を果たしたのでわないかと思われます。そこで、平安時代に遣唐使として中国大陸に渡った弘法大師がうどんを日本に伝えたということに為る訳です。しかし、実際には麺食文化の伝承は弘法大師より約一世紀前であったと考えられています。いずれにしても、中国大陸より伝えられた麺食文化は、日本の地に定着し広く一般に食されています。


写真は岡山県製粉製麺組合の記念館です。
岡山県笠岡市


うどん・ひやむぎ・そうめんの違い
うどん、冷麦、そうめんの違いは、主にその製品の太さで材料等はどれも同じ物が使われています。が、それぞれに最適の小麦粉や塩を作る物や、作る場所、作る時期にあわせていろいろと変えて工夫しています。


内海正二郎について
正二郎とは、岡山県笠岡出身の実業家、内海正二郎(章二郎)翁のことで、明治、大正、昭和と備中笠岡において手広く麺類を扱い全国に備中の麺を送り出していました。広く麺を送り出すかたわら、芸術文化にもぞうけいが深く、笠岡出身の「小野竹喬」「小野竹桃」兄弟とも親交が深く、彼らの絵の製作活動においても経済的援助を行なっていたと言われています。その功績を記念しこの度、こだわりのうどん「備中正二郎うどん」と名づけました。


備中正二郎うどんとは
製麺業の盛んな備中地方において、一人のこだわり親父が昔ながらのおいしいうどんを食べたい、そして広くみんなに食べさせたいとの一心で作り上げたうどんです。材料の小麦粉にこだわり、塩にこだわり、そして作り方にこだわり、とにかく本人が納得するまで何度も何度も作っては没、作っては没を繰り返してやっとできた自慢のうどんです。他のうどんと何が違うのか? それは是非一度食べてみてください、こだわり親父の気持ちが伝わり、解ってもらえると思います。備中にもこんなにおいしいうどんがあったのかときっと驚かれることだと思います。


麺のこだわり
「のど越しがよくて、腰がありおいしいうどん」
これが正二郎うどんのスタートでした。がんこ親父がまずこだわったものは、その味を決める一番の元である小麦粉と塩でした。今まで使ってきた小麦粉や塩の中でも一番味の良いもの、そして食感の良いものと次々にいろいろ試していきました。
材料をいろいろ替えながら、作り方も成熟時間を長くしたり、厚さを変えたりと試行錯誤の連続でした。作っては没、作っては没を繰り返しやっと今の正二郎うどんにたどり着くことができました。ですから正二郎うどんはこれで完成ではなく、これからも皆様の声を取り入れながら進化していきます。

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